スーダン難民
スーダン、ダルフール地方
2004年から1年半戦争
アラブ武装集団>アフリカ系反政府勢力
↓
5万人が死に140万人が家を追われた
↓
国外からの圧力を政府は受け、
外国人のダルフール地方の外国人立ち入り制限緩和
↓
国連・NGOが支援活動 ←今ここ
・難民とは?
1951年、難民条約で人種、信条、民族、政治的思想で住んでいる国から迫害を受ける人。財産や生命の危険を逃れるためにまわりの国に逃げる人。
住んでいる国から迫害されるので、国から保護は受けられないし、望まないこともある。帰るに帰れない。
スーダンのケースは、外国に逃げるというよりダルフール地方で困っている状態。おかれている状態は難民と同じだが、国内避難民と呼ぶこともある。
☆難民の数の推移の図を挿入
難民を発生させる原因が変わってきた。
国同士より、国内での紛争から逃れる場合が増えてきた。
民族紛争がここ20年くらいで増えてきた。
民族にあっているも間違っているもないので、長引くことが多い。民族浄化もされる場合がある。
アフガニスタン イラク ベトナム
パレスチナ 旧ユーゴ クルド ソマリア などで紛争が続いている。
アフリカではさまざまな民族が多くすんでいるので、国外に逃げても発展途上国が固まっていて、余裕が無い。先進国で保護をしないと難民の行き場がなくなるが、受け入れる側の国も余裕がなくなってきてしまったのも現状。
50年以降、国内の紛争が多い。
☆難民の歴史
48 パレスチナ難民大量流出
パレスチナの中にイスラエルという国ができた。
54 アルジェリア独立戦争(〜62)
フランス
65 ハンガリー動乱
71 バングラデシュ難民流出
65 ベトナム戦争(〜75)
79 ソ連、アフガニスタン侵攻
92 ボスニア紛争(〜95年)
冷戦終結後、旧ユーゴが崩壊。
99 コソボ紛争
01 アメリカ、アフガニスタン侵攻
パレスチナは20世紀最大の難民を生んだ。
エルサレムには、イスラム、キリスト、ユダヤの聖地が存在する。
ユダヤ人とパレスチナ人が共存してきた。住民のほとんどがパレスチナ人。
ww2後、国連のパレスチナ分割決議で字体が変わった。
ユダヤ国家が設立され、エルサレムは国際管理となった。
48年、イスラエルの建国が宣言。
アラブ諸国が激しく反発。戦争が起きた(第一次中東戦争48−49)。
この戦いはイスラエルが勝利し、パレスチナはエルサレムのほかに多くの土地を奪われた。この結果、72万のパレスチナ難民が発生した。ヨルダン川の西岸地区に難民は追いやられ、テント生活を強いられた。水や食料はあまり無かった。
67年、第三次中東戦争がパレスチナ難民を襲った。イスラエルが奇襲を仕掛け、短期間でさらに土地が奪われた。
ヨルダン川西岸地区、ごらん高原、ガザ地区、シナイ半島。
ここで暮らしたパレスチナ難民は新たな難民となったり、自由を制限されながらこの地で暮らした。
その後度重なる紛争の中、難民は増え続け2世3世も生まれた。
2000年9月28日
エルサレム市街の「岩のドーム」周辺が極度の緊張に包まれた。イスラエルの右派政党党首のシャロン氏がイスラム教の聖地、神殿の丘を訪れた。
民衆蜂起がおき、紛争が再び激しくなった。
現在400万の難民がいるといわれている。イスラエルがヨルダン川西域にパレスチナとの間を分断し、テロリストを排除するため壁を作った。パレスチナ人居住区に深く食い込み、イスラエルによる一方的な線引きと主張。
国際司法裁判書はパレスチナ人の人権を侵害していると判断した。が、イスラエル側はテロを減らせるとの姿勢。
パレスチナ人はパレスチナの土地に居るが、難民と同じような状況に置かれている。ただ彼らは、自分たちが難民であるから保護してほしいという主張ではなく、もともとの土地に住んでいる人間であるから権利を認めてほしいという考え。この点で最近ほかの地域で最近起きている難民問題とは事情が違う。
パレスチナ人でもヨルダンに逃れ生活し、難民としての生活をしているものもいる。
タイ北東部のナコンパナム。この町の人口の半数以上は、ベトナム系住民。タイの市民権が無く、故郷のベトナムに帰るためのパスポートがもらえない人もいる。最近はタイ政府がベトナムとの友好を深める博物館を作った。タイ政府は、ベトナムと合同会議を開き、タイに残るベトナム難民にタイの市民権を与えるとしている。
☆保護と救済
中心となるのは国連。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)ww2後51年国連の基に作られた。人権の侵害を受けるときは国連の人権高等弁務官などと一緒に活動したり、「国境なき医師団」や、女性専門、子供専門のNPOなどと活動することがある。03−04に深刻な紛争が起きたスーダン・ダルフール地方ではキャンプに赴いて救援の計画を立てる。援助金や物資を広く呼びかけている。ここではおよそ5万人が殺され、最悪の危機に直面している。スーダン政府を信じているものはここには居ない。物資は不足しているが、連日300人の患者を診察している。
☆難民を受け入れる側の国の姿勢
紛争がある国のほとんどは、発展途上国で起きることが多い。なにより受け入れるには余裕が無いと無理。ヨーロッパでは歴史的にも多くを受け入れてきた。
・たとえばドイツでは、庇護権というものを憲法で認めている。どこの国に住んでいてもその国で迫害を受けた人は、ドイツに守ってくれるように要求することが出来る権利だ。アフリカに広大な植民地を持っていたことが理由だが、90年代以降難民の数が急増し、難民流入を厳しく規制する動きがでてくる。受け入れる余裕がなくなってしまった事が原因だが、働くために自分を難民といってヨーロッパに入国するケースもある。
難民条約では、迫害を受ける可能性がある国に送り返してはいけないから、送り返すことも出来ないのだ。
・たとえばイギリスでは難民政策には積極的で、難民として認められれば一戸建て住宅に入居することも出来る。法律の面から支援する独自の制度もある。滞在許可の申請や不服申し立ての手伝いもする。年間250億円の運営費は、すべて国の予算でまかなわれる。01年の難民審査は12万件、26%に滞在許可を出し、不服申し立てによって新たに16%の滞在許可が認められた。しかし不法入国者を増やすとしてこの制度への批判もある。最大の問題は申請が多すぎることが理由で、新たな制度を作ることが望まれている。
☆難民が発生する原因は、紛争や戦争。
発生してから人道的な支援がなされること二ついてはさまざまな努力がされているが、多くの難民が発生すると国際社会は支えきれない。一番大切なのは紛争や戦争を未然に防ぐということ。2003年からスーダンでは紛争が起きていたが、世界はイラクに注目していたため見過ごした感がある。